ようこそ校長室へ
『潮流』には僕の想いであったり、学校であった実際の出来事などを書いています。
時間のある時に読んでもらえると嬉しいです。
校長 阪本洋介
日本海新聞 潮流(2016年9月)
皆さん、初めまして。阪本洋介です。「この人は誰?何者?」と思った方が殆どだと思いますので先に自己紹介をします。
1980年1月1日生まれの36歳。大栄中学校→倉吉東高校→鹿屋体育大学卒。大学卒業後は県立高校で半年間勤務し、その後、ニュージーランドに一年間のラグビー留学。日本に帰国しプロラグビー選手を目指しトライアウトを受けるも夢は叶わず。地元ラグビーチーム(打吹ラグビークラブ)の土橋さん、眞鍋さんの力をかりてセミプロ選手としてユニチカ(京都)に就職。そこで5年間のセミプロ生活を経験。2008年4月、鳥取に帰郷。帰郷と同時に本校に勤務。6年の月日を経て2014年4月校長に就任。
この間にたくさんの生徒に出会ってきました。それぞれが強い個性を持っており表現の仕方も多種多様。もちろん指導の仕方も様々。正解が一つのではないのでマニュアルなど皆無。日々、試行錯誤しながら生徒と向き合う。その中で感じたことなどを記したいと思います。
とその前に、学校の沿革も簡単に紹介しておきます。
本校は2001年、琴浦町に「中央高等学園」(校長阪本秀樹)設立。
2007年、県知事認可学校(専修学校)「中央高等学園専修学校」となる。
2009年、北栄町に新校舎設立移転。
そして、2011年、学校法人化し「学校法人 中央高等学園 中央高等学園専修学校」となる。設立16年目の専修学校です。
日本海新聞 潮流(2016年10月)
1年次の途中に転入してきてくれた彼の第一印象は『学力は確かにあるけど、自己中心的』でした。
入学してからはゲームに熱中し過ぎて学校にもゲーム機を持って来る始末。
挙句の果てにはそのゲーム機を取り上げられ大暴れ。
保護者も呼んで面談も行いました。
そんな彼があることをきっかけに勉強に目覚めます。
それは、3年生のある日、彼が他の生徒に勉強を教える機会があり、その時に初めて『教えるのが好きだ』ということに自分自身で気付いたこと。
そして、中央高等学園の先生みたいに生徒と本気でぶつかり合って頑張っている人たちを見て『教師って仕事が楽しそうだ』と思ったこと(本人談)。
目覚めてからの彼の勉強へ取り組む姿勢は凄まじいものがありました。
午前中、本校での授業を受けた後、提携している代ゼミサテライン予備校に移動。
閉校時間までみっちり勉強。土日曜日も朝から夜まで。
保護者のサポート(予備校への送迎等)を受けながら勉強を続けていきました。
目を真っ赤にしながら勉強に取り組む姿を見て、その成長に感動したことを覚えています。
夢が、目標が、その人の人生において大きなエンジンになることを改めて感じさせられました。
そんな彼が卒業してから書いた文章です。
『私のこの学校との出会いは二つ目の高校も不登校になっていた時期に父親から紹介され見学に行ったのがきっかけでした。学校での生活を通し、先生方は本気で私たち生徒と向き合ってくれ、自分の人生を観客のように呆然と生きてきた私は、主役として生きるよう動機付けてもらいました。大学受験のサポートも手厚く、おかげで今では教師になりたいという夢を持ち、大学に通い、アメリカに留学する夢も叶おうとしています。
夢は実現できることを教わり、その勇気をこの学校でもらいました。これを読むみなさんが、私のように夢を叶えることを強く願っています』
今では英語教師になるべく京都教育大学に通っています。
そして、その大学内での選考を見事にパスし、1年間のアメリカ留学も果たしました。
『最後まで諦めなかった人間が成功しているのである』と残したホンダの創業者、本田宗一郎さんの言葉がふと頭をよぎりました。
今でも彼とは京都から帰ってくる度に一緒にご飯を食べに行きます。
ある時は彼のお母さんも一緒に3人でランチに行くこともありました。
卒業してからもこうやって付き合えるのがこの仕事をやっていて本当に良かったぁ、と思えることの一つです。
こんな出会いを一人でも多く作っていきたい。それが僕の願いです。
日本海新聞 潮流(2016年11月)
10月21日、鳥取県中部を地震が襲いました。生徒は23日に控えている中央祭(本校の学園祭)の準備の真っただ中。
校舎は波が来たかのように揺れ、図書室の本は雪崩のように落ち、トイレのドアは外れ、天井に設置してある大型エアコンのカバーが外れてフィルターが転落してくるなど、今まで経験したことのない揺れに生徒は動揺し、涙する生徒もいました。
防災訓練のお陰で一人の負傷者も出すことはありませんでした。
余震の回数も非常に多く気持も不安定、総合的に考え中央祭を中止にすることは簡単でした。
しかし、そうすることで生徒の今までの頑張りが、そして、保護者の協力が無駄になってしまう。
そうはしたくない、そんな思いで予定通り中央祭を行うことを決めました(もちろん生徒の安全第一を考え、万が一の場合はすぐに中止することを前提に)。
地震の影響で来場者も減ってしまうだろうなと心配していましたが結果的に約150人の方に来校していただき大盛況の内に閉祭。
また、生徒からも「地震が起こった時には中央祭はどうなるかと思ったけど、開催して本当に良かった。良い思い出になった。」
「余震が不安だったけどみんながひとつになれて良かった」と。
さまざまな思い、プレッシャーがあった中、本当に素晴らしい笑顔で盛り上げてくれてうれしく思いました。
下級生も自分の役割をしっかりと果たしながら仲間と楽しんでいる姿が輝いて見えました。
この場を借りて再度、お礼申し上げます。
『僕たちはあの震災の中でも学園祭をやったんだ!』
笑いながらそう言える日が来ることを願います。
震災を経験したということを自分の中で財産に変えて欲しい。
最後に中谷彰宏さん(作家)の言葉を紹介します。
『運がいい人も、運が悪い人もいない。運がいいと思う人と、運が悪いと思う人がいるだけだ』
日本海新聞 潮流(2016年12月)
「この年間行事のソフトな夕べってなんですか?」学校の説明を聞きに来られる方からの質問のひとつです。ソフトな夕べはある保護者の次の言葉でうぶ声を上げました。『毎月、保護者が集まれる会を作って欲しい。子ども達にとって一番辛いのは保護者が悩んでいる姿を見ること。
悩みや経験談を言い合って楽になれるような会を』その熱い想いを聞かせてもらった後“みんなが軽い気持ちで何回も参加できるように”のイメージをもとに『ソフトな夕べ』と名付けました。『ソフト』はソフトドリンクを飲みながら気軽に、そして、柔らかい雰囲気で色々なことが話しやすいように、という意味。『夕べ』は夜に開催しますよ、という意味で。現在は毎月第三水曜日の19時より開催しています。
当初は場所だけ提供させてもらって保護者だけで開催してもらおうと思っていました。しかし、職員も参加させてもらっていると色々と得るものがありました。
学校では見せない家での生徒の様子だったり、小さい頃のエピソードなどなど。毎回、たくさんの保護者に参加して頂き貴重な話しを聴かせてもらっています。
卒業された保護者からは「この会があって本当に楽になれた」「自分が悩んでいることは皆さんも悩んでいたんだ」「共感して貰えて嬉しかった」との声を多数頂き嬉しく思いました。
人というのは自分の存在を肯定され、認められ、受け入れてもらえると、気持ちが落ち着いて安心でき、やがて自分の気持ちを自由に表現できるようになるものです。さらに、誰かに話すということは、安心感を得るだけでなく、気持ちを吐き出してすっきりする、という働きもあります。
心の奥底で眠っていた辛い気持ちや悲しい気持ちを、言葉にして表現することですっきりした、という経験は誰にでもあるのではないでしょうか。
卒業生の保護者からこんなお手紙をいただきました。『県立高校からこの学校に転校してきてからも、なかなか馴染めなく、この選択で正しかったのか? と悩む日がありました。しかし、友達や先生方の熱いご指導もあり、楽しげに学校に向かえるようになり、嬉しい気持ちになりました。子どももたくさん悩みましたが、親もたくさん悩みました。卒業する時にはこの学校・友だち・先生で良かったと言ってくれました。本当にこの学校に来させて良かったと思い、感謝の気持ちで一杯です。』
毎年の卒業式ではマザー・テレサの『私達は幸福になるためにこの世に生まれてきた』この言葉がまざまざと頭に浮かびます。
生徒の背景には必ず保護者がいます。その保護者の方々にも幸せになってもらいたい。そんな学校を目指しています。
日本海新聞 潮流(2017年1月)
〜協育・感動・情熱〜】
本校の協育(きょういく)は教職員だけではなく外部講師として地元の方々に協力していただいています。
その一人、大塚健一朗さん。プロの写真家でありGiveseed代表でもあります。今までに2回の講話の実施。それ以降、毎年卒業式には最高の写真を撮影していただいています。その写真を見るだけでその生徒の今まで抱えていた悩みや苦労、卒業できたという喜びを読み取ることができてしまうほど素晴らしい写真を撮影されます。まさに心を写す『写心家(しゃしんか)』です。
第1回目の講話でのこと。前半の講話が終わり後半、実際にカメラを使っての撮影になると魔法をかけられたかのように大塚ワールドにどんどん引き込こまれ、生徒たちの表情・行動が一変。
いつもはカメラを嫌がる生徒もどんどん積極的にポーズをとり、フレームに納まっていく。そんな生徒たちの姿を見た時に『僕たち教職員以外に引き出しを引いてくれる人が必要だ』と感じました。大塚さんは見事に僕たちには見つけられない生徒の引き出しを見つけて、開けてくれました。そのことは生徒の視野を広げ、見方を変え、可能性を見い出してくれるものでした。
1回目の講話が終わって数カ月後。「卒業式はいつですか?」。大塚さんから突然の電話。「3月2日です」「分かりました」。その後は連絡がないまま卒業式当日、大塚さんが撮影機材を抱えて来校されました。生徒も教職員もビックリ。卒業証書授与など式中のさまざまな場面を撮影されました。
式の最後。卒業生一人一人が順番で保護者に向かって涙ながらに感謝の手紙を読む場面(生徒は立って後ろを向き、保護者は保護者席に座ったまま)。その生徒の保護者はどこどこに座っていますと言っていないにも関わらずその保護者を見つけ当てシャッターを切る。
いつも会っている教職員たちにはどの保護者か分かりますが、大塚さんにとっては今日がはじめましての保護者。感動です。(心の声:これが大塚さんか!)
そして、そのデータをその日の夕方には届けて下さいました。またまた、感動。このスピード感あふれる仕事は情熱からしか生まれない。その情熱が感動を呼ぶのだと思いました。
学校でできることは教職員で行う。しかし、それでは狭すぎます。もっと多くの感じ方、ものの見方、そして、生き方をたくさんの地元の方々から学ばせてあげたい。学校での出来事を誰かに話したくなるような、そんな多くの感動を生徒たちに味わわせてあげたい。それにより『通いたい学校』そして『誇りに思う地域』を同時に感じてもらえたらうれしいです。
最後になりましたが、本校の協育に携わっていただいている方々にはこの場を借りて改めてお礼を申し上げます。
日本海新聞 潮流(2017年2月)
【「辛い」を「幸い」に変える力】
1月23日、朝起きると平成23年の冬を思い出させるような大雪にはびっくりさせられしました。そのため本校は設立以来初めての休校にしました。職員総出で雪かきをしてもなかなか終わらない。そんな中、ある名案が…手伝ってくれそうな卒業生に電話して来てもらおう。
ダメもとで電話をかけてみる。『もしもし、今日仕事休みなら雪かき手伝ってくれんか?』ふたつ返事で『分かった!』雪かきが大変過ぎて途方にくれていたその時。目の前に一人の救世主が現れました。愛車を使って入口の雪の壁を突破!そのスピード感!行動力!感動してしまいました。
年に二回はないだろうな、と思っていた2月10日のゲリラ豪雪。また雪かきのことが頭に浮かび、早速、卒業生たちに連絡。今回は二台で3人来てくれました。そのうちの一人は前回と同じ卒業生。再び愛車を使って除雪や圧雪、車がようやく入れるようになりました。その後、息つく暇なく車の出庫に困っている職員のアパートへ。またまた馬力のある愛車で除雪、圧雪。その周辺は一切除雪がしてなく、彼らの愛車二台で新雪の壁を壊しながら道を作っていく。先頭の一台が雪にはまれば二台目が引っ張り救出、これを繰り返しながら見えなくなっていた道をつなげていきました。その近隣の多くの住宅・アパートの住民から「ありがとう」の感謝の言葉をいただき満足そうな笑顔の彼ら。
それを終え、一緒にラーメンを食べている最中「雪で困っている人たちを助けに行こうやぁ」という話しに。雪かきで大変そうな知り合いのところに電話をしてみる。何件か電話をしましたが、どこもひと段落ついており実際には行きませんでした。でも、その気遣いに対して電話越しに「ありがとう」をたくさんもらいました。
今通ってくれている生徒たちも学校前の駐車場を率先して雪かきをしてくれました。公道で車がはまりそうな所の雪かき、そして、何台もの動けなくなった車の救助も。自分たちは濡れてもいい、寒さを感じてもいい、そんな覚悟で手伝ってくれました。その姿を見て自立心のある本当に素晴らしい生徒に成長しているな、と嬉しく思いました。
人のために何かが率先して出来る。こんな人間に僕もなりたい。そして、この仕事をしていて良かったと改めて感じさせられました。在校生、卒業生が世の中の役に立ってくれている。これ以上の幸せはありません。
「辛い」ことも“一つ“の気持ちや行動で「幸い」に変えられる。それが楽しく豊かに人生を過ごす方法なのでしょうね。
日本海新聞 潮流(2017年3月)
【涙の理由(わけ)】
去る3月2日、本校は19名の卒業生を涙で送り出しました。濃密な時間をともにした生徒の旅立ちは嬉しさと寂しさが入り混じる特別な瞬間。いつも笑顔でハツラツとしている一年目の女性教員も涙していた。
そんな彼女との出会いをふと思い返す…春から学校に新しい部活動を立ち上げたい。そんな思いで新しい教員を探していました。そんな中、夏の就職説明会に参加。本校のブースで待っているとリクルートスーツに身を包んだフレッシュな女性が。
「こんにちは!」ハキハキとした声、イキイキとした表情、明るい未来しか信じていないんです私、という雰囲気。第一印象はとても大事ですよね。この時点で半分合格。そして、実際に話しをしてみる。英語の教員免許があり、大学3回生時には海外でボランティア経験もある。中学時代はバスケットボール部のキャプテンであり駅伝部のキャプテン。高校時代は吹奏楽部でハープ、サックスの担当。大学時代はよさこいサークル部所属し…これだ!これが決定打となり彼女を採用することに決めました。
人が決まれば部活は立ち上げられる。こうして本校のよさこい部は産声をあげたのです。8月の倉吉打吹まつりのステージでよさこいを踊るというゴールを決めた後、練習を始めた4月。生徒は半信半疑。「よさこいって見たことない…」「やったことないし…」「人前で踊るなんか出来んし…」そんな状態からスタートしましたが、役割を決め、練習を重ねるごとに躍動感が増し動きも揃ってきました。放課後にも鳴子の音が学校に響き渡る。生徒だけでは人数が足らないので保護者、教職員、外部の方々にも参加してもらいながら、祭り当日を迎えました。
当日のステージでは緊張しながらも見事に踊り切り、踊ったあとの生徒の表情は安堵感と達成感で晴れ晴れとしていました。観客席におられた保護者の方々は涙、ナミダ。ある保護者からは「まさかうちの子がこんな舞台に立って堂々と人前で踊りきるなんて」。その後の反省会では、初めてのことで試行錯誤しながら指導にあたった彼女も言葉をつまらせ号泣。その裏側には新しいことに対する大きな不安、生徒への愛情、保護者への感謝、自分自身の仕事に対しての強い責任感があったと思います。いつも生徒に寄り添い、共感し、背中をゆっくりと押し成長をうながす彼女だからこそ流せる涙だったのでしょう。
このような感動物語を生徒、保護者、教職員が一緒になりながら経験していき、高校生活の集大成として卒業式を迎える。来年も最高の卒業式が迎えられるよう教職員一同、精一杯尽力していきます。